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『でも、ふりかえれば甘ったるく』をふりかえれば甘ったるく? —いか文庫 粕川ゆき

#9 ふりかえれば甘ったるい、「オザケン」と『わたしは真悟』の彼の話

2018年3月、カメラマン・芸術家・ライター・編集・浪人生など、さまざまなバックボーンをもつ女性10名によるエッセイ・随筆集『でも、ふりかえれば甘ったるく』が発売された。20代を中心とする著者9名とイラストレーター1名が、それぞれの「幸せ」について自分らしく想いを綴る。彼女たちのこれまでとこれからに紡ぎ出される、それぞれかたちも大きさも肌触りもちがう「幸せ」。読んだらきっと、自らの日常にある小さな「幸せ」に気づいてにこやかになる、そんな1冊だ。

BAUSでは、『でも、ふりかえれば甘ったるく』のスピンアウト企画として、著者や制作関係者、ゲストを迎え、リレーコラムをお届けする。今回のゲストは、いか文庫 粕川ゆきさん。

オザケンのコンサート(ってオザケンが言ってた。「ライブ」じゃないらしい)に行った。
余ってるからと譲り受けたチケットだったので、1人ぽっちの参戦。
♪あまり乗り気じゃなかったのに〜
なんて、鼻歌を歌うような気持ちで向かった。

でも……
「ラブリー」のイントロが流れ始めてすぐにウルウル。
「ぼくらが旅に出る理由」で涙が頬を伝い、
「愛し愛されて生きるのさ」を大声で歌って、
「強い気持ち・強い愛」で大号泣。
もはや合唱できないくらいだった。
そしてそれら全部、空で歌えた自分に驚いた。
オザケンは、未来が見えず不安しかなかった女子高生の私に、
魅惑的な歌詞を使って魔法をかけ、夢の世界に連れていってくれる、
まさしく“王子”だったということを思い出した。

ただ唯一心残りだったのは、
♪プラダの靴がほーしーいの!
と、歌えなかったこと。
曲名は「痛快ウキウキ通り」。
今から10年ほど前に恋い焦がれていた男性の、十八番だった曲だ。
カラオケで初めて歌われた時、完全に恋に落ちたと思った。
私の王子は、オザケンからこの彼に切り替わり、
この曲はもはやオザケンではなく彼の曲になってしまった。
あれ以来、イントロを聞くだけで彼の顔が浮かぶ。
たぶん、一生浮かぶのだと思う。

彼は、職場の同僚だった。
彼の好きなものは全部好きになりたかったし、
彼の喋り方や字の書き方まで真似した。
見た目も中身も癖さえも、私の好みにぴったり一致する、
理想の塊みたいな人だった。

ある日の帰り道(住んでいた街が同じだった。運命と思い込んでいた)、
電車に乗るなり、漫画家・楳図かずおの名作『わたしは真悟』を取り出した彼は、
すぐさまその世界に入り込んだ。
無言で進む中央線……
と、突然、彼が顔を上げ、

「ここ見て!この真鈴(まりん)と悟(さとる)が出会う瞬間!!見て!!」

開いていたページをグイグイと興奮気味に見せつけ、
まるで小学生男子のように訴えかけてきたのだ。
その驚きと喜びに心がブルブル震えた私は、
よりいっそう彼にときめくようになり、
『わたしは真悟』は、一生忘れられない一冊になった。

そしてその後この恋は、一方的に私の気持ちを押し付けすぎた結果、
実るどころか、
「もういい加減にして!」
と、駅のホームで言い放たれるに至り、
終了した。

 

だいぶ時間が経った今。
あの時のことは、笑い話にできるくらいの甘ったるい思い出になった。
そしてそんな思い出をまとった本や音楽は、切ない以上に愛おしい。

だから我が家の本棚にはまだ、その彼との思い出の本が1冊だけささっている。
「好きそうだからあげる」
そう言って渡された本にはシミがついていて、
そのシミをぐるっと線で囲んで「しょうゆ」と書かれている。
好きすぎて真似した、彼のあの字で。

ーー

エモいもの。
ちょっと前まで、恥ずかしいんですけどとか言って、近づかないようにしていたものたちです。
でもここにきて急に、そういった本を読んだり、音楽や映画、演劇に触れる機会が増え、自分ごとになっていくことで、そのネガティブさがススーっと薄れていきました。
今はむしろ、エモいものに触れることで自分の感情が揺さぶられること、自分の思い出や記憶が呼び戻されて「んなー!(照)」となることを、面白がれるようになりました。

そしてついに、「エモいのを書いて欲しい」というメールが届きました。
『でも、ふりかえれば甘ったるく』という、女性9人が「幸せ」について、自分の経験や想いを存分に綴った本、私がエモいものを面白いと思うきっかけになった1冊を作った方からの依頼でした。
なんなんだこれは……と思いつつ、でも、何をどうやって書こう?と、ちょっと顔を緩ませながら書きました。(そういえば今思い出したのだけど、この彼とは、数年前のオザケンのライブにも一緒に行ったのでした!ひゃー!)

書き終えて、なんだか清々しい気持ちです。
いろんな人の「本や音楽から思い出す“誰か”の話」も、聞いてみたい気持ちです。

PROFILE

『でも、ふりかえれば甘ったるく』

カメラマン、芸術家、ライター、編集、浪人生等様々なバックボーンを持つ女性10名のみで制作したオムニバス集。悩みながら、もがきながら、噛み締めながら「今」を生きる。女性9人が自分らしく想いを綴る、それぞれの「幸せ」とは。彼女たちの「これまで」と「これから」をまとめたエッセイ・随筆集。
全国の書店、各種通販サイトにて発売中。

【目次(著者 / タイトル)】
01. 伊藤 紺 / ファミレスのボタン長押しするように甘く
02. 生湯葉 シホ / 永遠には続かない
03. こいぬま めぐみ / 検索結果は見つかりませんでした
04. いつか 床子 / 幸せでない話
05. mao nakazawa / 私の庭
06. 菅原 沙妃 / ここにいていいよ
07. 西平 麻依 / 大人になるのは、きっとそれから
08. 渡邉 ひろ子 / 夜の散歩から
09. エヒラ ナナエ / 愛すべき孤独に
10. ery / カバーデザイン

【Credit】
発行元:株式会社シネボーイ / PAPER PAPER
発売元:日販アイ・ピー・エス株式会社

Produce:西川 タイジ(CINEBOY inc. / PAPER PAPER)
Book Design:近成 カズキ(CINEBOY inc. / PAPER PAPER)

PROFILE

粕川ゆき

お店も商品も無いエア本屋「いか文庫」の店主。
都内のリアル本屋でも店長をしています。

トップ挿絵・エヒラナナエ 文・粕川ゆき 編集・上野なつみ

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