2018年3月、カメラマン・芸術家・ライター・編集・浪人生など、さまざまなバックボーンをもつ女性10名によるエッセイ・随筆集『でも、ふりかえれば甘ったるく』が、CGプロダクション「シネボーイ」の出版レーベル「PAPER PAPER」から発売された。20代を中心とする著者9名とイラストレーター1名が、それぞれの「幸せ」について自分らしく想いを綴る。彼女たちのこれまでとこれからに紡ぎ出される、それぞれかたちも大きさも肌触りもちがう「幸せ」。読んだらきっと、自らの日常にある小さな「幸せ」に気づいてにこやかになる、そんな1冊だ。
今回BAUSでは、『でも、ふりかえれば甘ったるく』のスピンアウト企画として、著者や制作関係者、ゲストを迎え、リレーコラムをお届けする。
「でもさ、それってナナエちゃんからいちばん遠いテーマじゃない?」
友人たちは口をそろえてそう言った。
私は予想していたような、していなかったような自分の言われ様に悲しくも笑ってしまった。
「うそ?私ってそんなに幸せから遠いの?」
「だってそうじゃん。だから〈幸せ〉についてなんて書けなくない?」
言い返される言葉に反論もできず、深夜の喫茶店の机に目を伏せた。
幸せについて書こうとしていてさ、なんて話を自らふったことを少しだけ後悔した。
「そうかな、そんなに遠いのか」
笑いながらも、次に話す話題は浮かんでこなかった。
2017年、秋。
新宿の喫茶店らんぶるの一階。
「僕はエヒラさんの日記は読み物としてとても面白いと思いましたよ」と、シネボーイの西川さんがそう言ってくれた。私が作った日記集を書店で見つけ声をかけてくれたそうだ。
販売している日記集は2014年の夏からの日記をまとめたもの。と、いっても自分で委託して細々と売っているような規模だ。
西川さんから〈幸せ〉について書いて下さいと言われたときには自分のなかに違和感はなかったはずだった。
なのに、〈いちばん遠いテーマ〉とまで言い切られてしまった夜。
その日私は書きかけていた原稿を白紙に戻し、気が付いたらそこに日付を振っていた。
「日記を綴っていくことが幸せを示す手段だったはず」、そう思った。
ただ、その日からの事実を並べた日記がそのまま原稿になるのに、当然その期間になにが起こるのか自分自身も分からない。幸せをかみしめるような瞬間、そんなものが偶然に訪れる保証もなければ、起こりそうな予感も分かり得ない。
そして、年末に原稿を渡すと、「まさか日記でくるとは思いませんでした」と笑いながら言う西川さん。私も「私もまさか日記形式で書くとは思っていませんでした」と笑って返事をした。
〈幸せ〉を書けていたのかわからない。
なんせ〈ナナエちゃんからいちばん遠いテーマ〉なのだから、なんて思いながら。
2018/5/14
「あ、忘れてた。私たちの未来の呼び方」
ベッドサイドに積み上げた文庫本の山を仕分けしながら、足元に落ちてきた白い紙切れを拾い上げて一人で笑った。田辺聖子の『ジョゼと虎と魚たち』の文庫本に挟んだままだった中華料理店のペーパーナプキン。
去年の夏、自分の日記によれば6月14日。
大学時代からの友人たちとテーブルを埋め尽くす中華料理を囲みながら、とてもくだらないことを話し合った夜。〈平成〉の次の年号を、正解なんて出るはずもないのに私たちは全力で話し合っていた。正解がないから全力だったのかもしれない。
私は、テーブルの右端「○○○円以上お食事のお客様に海外旅行プレゼントのチャンス!」というBOXに刺さっていた鉛筆を手に取って、目の前を飛び交う新しい未来の呼び方をペーパーナプキンの上に書き連ねた。
明、楽、光、輝。
私たちの口から出る架空の未来の呼び方は、どれも幸せな未来を願う言葉ばかりで、
「私たちが望む未来ってどんな未来なんだろうね」
みんながそんなことを言っては、時に真剣な顔になった。
でも、でたらめな呼び名が並ぶペーパーナプキンは見るからに滑稽で、それはどう見ても冗談としか思えない呼び名が連なっている。
「やっぱり〈楽生〉が最高じゃない? 楽しく生きる。『楽生(らっせい)1年』って言うだけでなんか元気になるよ」
「ねえ君、なに楽生?」
「え、私? 1楽生(いち・らっせい)です」
「え、楽生1年じゃなくて、数字が最初に来ちゃうの?」
新しい年号に変わった時のコントなんかを誰の合図もなしに始めて、とにかくくだらなかった。
大量に並ぶ中華料理はなかなか減らず、ただ知るはずもない未来の呼び方を何度も口にしては笑った。
今ここにある話でもなくって、本当の未来の話でもなくって。
そしてその日、私は架空の未来を書き連ねたペーパーナプキンを文庫本に挟んで持ち帰ったのだった。
その文庫本は、たまたまカバンに入れていた『ジョゼと虎と魚たち』だった。
コラムを書こうと思って、『ジョゼと虎と魚たち』の横にある『でも、ふりかえれば甘ったるく』を手にした時だった。白い紙切れが足元に落ちてきたのは。
あの滑稽なペーパーナプキン。
「そうだった、私たちの未来の呼び方」
それから懐かしくなって自分の日記集を読み返す。
あの中華料理店でのやりとり、6月の新緑の中を進む友人のピンクの車。山頂でケーキを手づかみで食べながらフリスビーを投げて、風に飛ばされるバトミントンのシャトルを子どもみたいに追いかけた私たちの休日。子どもみたいな遊びを楽しめてしまう私たちの感覚、我ながら恐ろしい。
「未来って本当に、自由に存在していていいんだよね」
手に収まる架空の未来を見ながらそう思った。
あの夏を思い出してひとしきり笑った後、滑稽なペーパーナプキンはまた『ジョゼと虎と魚たち』の最初のページに戻しておいた。
今日だって日記を綴っている。
きっと私たちの未来の呼び方が本当に架空のものになる時も、私はあたらしい呼び名でそこに日付を記しているんだろうなと思った。
そういう、誰も傷つけていない思い出を書き残していられることが今はただ嬉しかったりする。
誰に問うこともなく、存在していた毎日を積み重ねていくという記録。
〈幸せからいちばん遠い〉、私が幸せを示していくためにはきっと、ささいなことを誰より積み重ねていくほかにないのかもしれないなと思った。
あ、あとひとつ思い出したことがあった。
ちょうど3月、『でもふり』が発売されて間もない頃だったと思う。
「はあ、美味しいな。幸せだなあ」
22時のロッカールームで先輩がアイスクリームを食べながらそう言った。
躊躇いのない、吐く息と同時に流れ出る呼吸みたいな「幸せだなあ」という言葉。
私はそのとき「幸せですよね」と言ってしまえばいいものの、「本当に」とだけ口にしてアイスクリームを食べていた。「本当に」のあとに続く言葉は紛れもなく「幸せですね」のほかにないのに。
いつもなぜだか「幸せ」と、
口にした瞬間が最上になってしまうのがこわくて無意識に言葉にストップがかかる。
でも考えてみれば「幸せ」と口にした瞬間なにかが減っていくものでもなければ、むしろその瞬間に「幸せ」は増えている。そのときの流れ出る「幸せだなあ」という息に、心が動かされてしまった。
幸せに自覚的になること。
それってとても気持ちがいい。
まだ呼吸のようには口からこぼれ出ていかないけれど今、私は私から〈いちばん遠いテーマ〉に歩み寄ろうとしている。
「ふりかえる毎日がここにあること、それってとても幸せだな」
PROFILE
『でも、ふりかえれば甘ったるく』
カメラマン、芸術家、ライター、編集、浪人生等様々なバックボーンを持つ女性10名のみで制作したオムニバス集。悩みながら、もがきながら、噛み締めながら「今」を生きる。女性9人が自分らしく想いを綴る、それぞれの「幸せ」とは。彼女たちの「これまで」と「これから」をまとめたエッセイ・随筆集。
全国の書店、各種通販サイトにて発売中。
【目次(著者 / タイトル)】
01. 伊藤 紺 / ファミレスのボタン長押しするように甘く
02. 生湯葉 シホ / 永遠には続かない
03. こいぬま めぐみ / 検索結果は見つかりませんでした
04. いつか 床子 / 幸せでない話
05. mao nakazawa / 私の庭
06. 菅原 沙妃 / ここにいていいよ
07. 西平 麻依 / 大人になるのは、きっとそれから
08. 渡邉 ひろ子 / 夜の散歩から
09. エヒラ ナナエ / 愛すべき孤独に
10. ery / カバーデザイン
【Credit】
発行元:株式会社シネボーイ / PAPER PAPER
発売元:日販アイ・ピー・エス株式会社
Produce:西川 タイジ(CINEBOY inc. / PAPER PAPER)
Book Design:近成 カズキ(CINEBOY inc. / PAPER PAPER)
PROFILE
エヒラナナエ
自身の日記をまとめた日記集SOMEDAYを発行。
ehirananae@gmail.com