MENU

クリエイターのためのクレジット・データベース

MENU
CLOSE © COPYRIGHT BAUS, ALL RIGHTS RESERVED

『でも、ふりかえれば甘ったるく』をふりかえれば甘ったるく? ーこいぬまめぐみ

#1 動物博士のご指導のもとに!

2018年3月、カメラマン・芸術家・ライター・編集・浪人生など、さまざまなバックボーンをもつ女性10名によるエッセイ・随筆集『でも、ふりかえれば甘ったるく』が、CGプロダクション「シネボーイ」の出版レーベル「PAPER PAPER」から発売された。20代を中心とする著者9名とイラストレーター1名が、それぞれの「幸せ」について自分らしく想いを綴る。彼女たちのこれまでとこれからに紡ぎ出される、それぞれかたちも大きさも肌触りもちがう「幸せ」。読んだらきっと、自らの日常にある小さな「幸せ」に気づいてにこやかになる、そんな1冊だ。

今回BAUSでは、『でも、ふりかえれば甘ったるく』のスピンアウト企画として、著者や制作関係者、ゲストを迎え、リレーコラムをお届けする。

「『幸せ』をコンセプトにした文章を書いていただけませんか」

という趣旨のメールを受け取ったのは、去年の9月の終わりのことだった。
スマホを握る手からは、つい数分前までバイト先のスーパーでお買い得品であるニラの袋詰め作業をしていた形跡が香る。

メールの差出人は、株式会社シネボーイの西川タイジさんという方。

本文にザッと目を走らせ、ひとまずニラ臭い手で制服のジッパーを下げハンガーにかける。

しかし、私は文章を書いてお金をもらったこともなく、ライターとしてどこかの会社に属しているわけでもなんでもない。ただこうしてスーパーで野菜を並べ、大学院の受験勉強をしながら、ときどき自己満足で文章を書いてはネットの巣窟に葬っていただけだった。そんな私に、なぜこんな話が来たのだろう。

着替えを終えた私は、従業員専用トイレへ。スマホを脇に挟み、手のひらにアルコールスプレーをワンプッシュ。アルコール液を手に揉みこみながら、出勤カードを裏返す。すれ違った警備員のおじさんに挨拶。頭の中でメールの返事を打ちながら、そそくさと家路を急いだ。

本作の執筆依頼を受けたときのことをふりかえって、言葉を選ばずに正直なところを言うならば、これは詐欺かもしれないと思った。
執筆依頼? 書籍化? 全国書店・各通販サイトにて発売予定?
話があまりによくできすぎている。しかも、「幸せ」について書いてくださいとか言っている。
きっと甘い言葉に乗せられて、気づいたころには何らかの悪の組織の一味にさせられているんだ(西川さんごめんなさい)。

しかし、突如舞い込んできた願ってもない話。こういう、「ごくごく普通の主人公のもとへある日突然系」の話は大好きだ。もしこの話が「幸せ」を謳いながら言葉巧みに高い壺とか買わされたとかいう結末だったとしても、まあそれはそれで話のネタになるじゃないか。恐怖や警戒心よりも、先の読めない未知なる展開への興味関心が勝った。

 

「あの、どうして私なんですか?」

その数日後、打ち合わせをするため西川さんのもとへと出向いた私は、単刀直入にいちばん聞きたかった疑問をぶつけてみた。想像していたよりもずっと気さくな雰囲気を纏った西川さんから返ってきた言葉には、迷いがなかった。

「僕が面白いと思ったから。売れてるとか売れてないとか有名とか無名とか関係なく、本を作るにあたって、僕が面白いと思った人に声をかけてるんです。だからこいぬまさんはそんなこと気にせずに、自信を持って、書きたいことを自由に書いてくれていいですよ」

 

そうはいったものの「幸せ」とはなんだろう。そもそも「幸せ」という言葉は、抽象度が高く実態があやふやなわりに、言葉のヒエラルキーの上の方に何食わぬ顔で鎮座している気がする。人は「幸せ」である方がいいのだろう。でも、誰かにとっての幸せが、自分にとっての幸せとイコールとは限らない。だからこそ、「幸せ」という甘い言葉で包んで価値観を押しつけるような胡散臭い「幸福論」は書きたくなかった。「幸せ」というテーマの大きさに対して、あくまでも自分の両手の中に収めて眺められるサイズ感の「幸せ」を見つけようと思った。

しかし、そこからはかなり苦戦した。秋の深まり。冬の気配。浮かばない構想。進まない原稿。溜まってゆく勉強。近づく締切。その頃の私はというと、テレビから聞こえた「幸せ」という言葉に反応しては画面の前に躍り出て、SNSで「幸せ」と検索しては大量の「幸せ砲弾」にハートを削られ、会う人会う人に「幸せって何?」と淀んだ目で尋ね歩いていた。周りは「勉強のしすぎでとうとうおかしくなったのかな」と声を潜める。悩みすぎて、夜しか眠れなかった。

転機となったのは、年末の最終締切まで3週間を切った12月中頃。小学校からの付き合いの友達と入った、近所の中華料理屋さんでの出来事だった。あのとき、焼きビーフンをとりわけながら彼女があの話をしてくれていなかったら、きっと『検索結果は見つかりませんでした』は生まれていなかっただろう。

当時会社の先輩に想いを寄せていた彼女は、その甘酸っぱいやりとりを会うたびに報告してくれた。

 

「最近、『動物博士のご指導のもとに!』って言うのにハマってる」

なにそれ。初めて聞く言葉に、箸を動かす手を止め彼女の言葉を待つ。

彼女いわく、この言葉は先輩と彼女の間での「流行語大賞2017」らしい。「動物博士」が何者なのかはお互いによくわからないまま、やりとりの中でなんとなく生まれた言葉のようだ。妙に気に入ったふたりはその後何度も口にしては爆笑し、他部署の先輩に怪しまれるほどだったという。その頃ちょうど誕生日を迎えた彼女は会社の先輩方から「四字熟語」をもらい、そこにも先輩からの「動物博士」の4文字が刻まれていた。

毎月四字熟語を習字してデスクの横に貼っていたという彼女への誕生日プレゼント。

……ちょっとあの、大丈夫かな。読者の方々を一気に置いてけぼりにしてしまった気がする。

この話を彼女から聞いたとき、私もさっぱりわからなかった。なにがそんなに面白いのだろう。全然わからない。わからないけれど、それを語る彼女の表情はすごく満ち足りていた。なんだか、そんな彼女を眺めていたら、ああ、いいなあと思った。私は合鴨を噛みながら、すごく純度の高い気持ちで相槌を打った。

挙げ句の果てには、「動物博士」の流行は衰えることを知らず、誕生日からしばらく経った頃先輩から「ちょっとさみしいけど、動物博士は控えよう。この言葉に頼りすぎてはいけない」というお達しが来てふたりでさみしがっていたとか言い出す。もうなにそれ。やっぱり全然意味がわからないけれど、気づけば私はなぜか少しだけやきもちを焼いていた。

きっとどんなに言葉を尽くして説明してもらっても、その脈絡を共有していない私に「動物博士のご指導のもとに!」のおもしろさを理解することはできないのだろう。この言葉は、先輩と彼女の間だけで通用する言葉なんだ。この話を聞きながら、私は強く思った。「幸せ」とは、人と人とが紡ぐ脈絡の中に宿るものなのかもしれない。そう思ったら、自分の周りにいる人たちの顔が浮かんできた。自分の両手に収まる大きさの「幸せ」をすくいとることができた瞬間だった。

 

私の話が生まれるきっかけとなる言葉をくれた彼女に、私はお礼の手紙とともにできあがった本を献本した。そして、このコラム記事に「動物博士」のエピソードを掲載していいかと連絡すると、了承の返事とともにこう綴られていた。

「今思えばあれだなぁ。この時期ってお互いに仕事が忙しくて、日付が変わる前に帰ってくるのが当たり前ってくらいで、そういう時にね、ああいうなんかよくわかんないものでふたりで笑い合うって大切なことだった、というか必要なことだった気がするよ。わたしの気持ちは向こうにバレつつ、付かず離れずのちょっと探り探りの距離感で、そのときにふたりにしかわからない合言葉みたいな、くすって笑える言葉があるのが嬉しかったのを覚えてる」

発売からちょうど1ヶ月が経った頃。先輩から彼女のもとに「僕も買ってですね」という言葉とともに、先輩のデスクを写した写真が送られてきたらしい。彼女の呼び方は、もう「先輩」ではなくなっていた。

PROFILE

『でも、ふりかえれば甘ったるく』

カメラマン、芸術家、ライター、編集、浪人生等様々なバックボーンを持つ女性10名のみで制作したオムニバス集。悩みながら、もがきながら、噛み締めながら「今」を生きる。女性9人が自分らしく想いを綴る、それぞれの「幸せ」とは。彼女たちの「これまで」と「これから」をまとめたエッセイ・随筆集。
全国の書店、各種通販サイトにて発売中。

【目次(著者 / タイトル)】
01. 伊藤 紺 / ファミレスのボタン長押しするように甘く
02. 生湯葉 シホ / 永遠には続かない
03. こいぬま めぐみ / 検索結果は見つかりませんでした
04. いつか 床子 / 幸せでない話
05. mao nakazawa / 私の庭
06. 菅原 沙妃 / ここにいていいよ
07. 西平 麻依 / 大人になるのは、きっとそれから
08. 渡邉 ひろ子 / 夜の散歩から
09. エヒラ ナナエ / 愛すべき孤独に
10. ery / カバーデザイン

【Credit】
発行元:株式会社シネボーイ / PAPER PAPER
発売元:日販アイ・ピー・エス株式会社

Produce:西川 タイジ(CINEBOY inc. / PAPER PAPER)
Book Design:近成 カズキ(CINEBOY inc. / PAPER PAPER)

PROFILE

こいぬまめぐみ

1994年、東京都出身。大学卒業後、心理系大学院への進学を目指す院浪生。中学2年生の頃から毎日手書きの日記を書き続け、自らの手書きの文字「こいぬまフォント」で綴られた日常のラフスケッチは私有財産である。ボールペンのインクは10日ほどでなくなる。プリクラで「プリ彼」という彼氏を作り出したり、巷で噂の「たわしおじさん」に取材をしたり、「鉄道コンパ」なるものに参加し婚活のリアルな現場を自らの目で確かめたりと、「面白い」がわたしを突き動かす力であり、あの一瞬のきらめきを追いかけ続けていたい。座右の銘は「神は細部に宿る」。ハシビロコウに憧れている。

トップ挿絵・エヒラナナエ 文・こいぬまめぐみ 編集・上野なつみ

関連記事

  1. 「死ぬまでに中村洋基に聞いてみたいこと」聴くBAUS #1

    READ MORE
  2. 「2020年、東京のナイトシーンが盛り上がる」
    トランジットジェネラルオフィス、リアルゲイト代表対談【後編】

    READ MORE
  3. エンターテイメントを進化させる -Unityを用いてライブ体験の拡張に挑戦し続けるエンターテイメント集団LATEGRA

    READ MORE