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古市憲寿の「チョコレートとジレンマ。」

#3 消費

いつの間にかたくさんの「月額費」を払っていた。通信費や光熱費はもちろん、Apple MusicやHulu、ニコニコプレミアムなど月額でチャージされるサービスにいくつも加入していたのだ。
こうした月額費に不満があるわけではない。むしろ20年前から考えれば、音楽や映像コンテンツは、信じられないくらい安価に、そして簡単にアクセスできるようになった。

わかりやすいのが音楽だ。1990年代、音楽CDは2曲入りのシングルで約1000円もした。下手をするとカップリング曲はリミックスで、実質たった1曲しか入っていないというCDも多く発売されていた。そんなCDが平気で200万枚を超える売上を記録していたのだ。
しかし今やApple MusicやAWAなどの定額音楽配信サービスに加入すれば、月額980円で数千万曲を自由に聞くことができる。ものすごい価格破壊が起こったことになる。
今でも音楽CDは売られているが、それは限りなくファングッズに近づいている。
『カノジョは嘘を愛しすぎてる』という少女漫画原作の映画のサウンドトラックが発売された時、一番多く寄せられた質問が「CDってどうやって聞くんですか」「CDってどこで買えるんですか」だったという。

そもそもApple Musicなどに加入せず、YouTubeでPVを観たり、違法アプリを使って音楽を聴くだけで満足している人も増えている。
自然な流れだと思う。なぜなら、歴史的に考えれば、音楽は個人が所有するものではなく、共有するものだったからだ。口頭伝承の歌を歌っていた時代、民衆向けのコンサートが開催されるようになった時代を経て、個人がレコードなどの形で音楽を所有できるようになったのは、この1世紀のことに過ぎない。
1990年代には信じられない数のCDが売れたが、それも「カラオケで歌うための練習用」といったように、音楽はコミュニケーションツールとして機能していた。純粋に音楽を所有したかった人がどれだけいるかは怪しい。

同じことは音楽以外にも言えるだろう。「所有から共有へ」なんてことが、さも新しい出来事のように語られるが間違いだ。多くの場合、「共有」はただの先祖返りに過ぎない。
もっとも、一部の特権階級のみがモノを所有することができた時代まで逆行することはないだろう。そもそも「所有」と「共有」の境界線は曖昧になりつつある。複製可能なデジタルデータとして配付されたコンテンツが厳密に誰のものかは非常に難しい。
確かなのは、ある時代の人々が、過剰に意味を見出していた所有に、それほど価値を感じない人が増えていることだ。

ちょっと話は変わるかも知れないが、オリンピックに向けて街頭テレビがもっと増えればいいのになと思う。定額制やインターネットのおかげで、いつでもどこでもコンテンツが手に入る時代になったからこそ、その場でしか楽しめない視聴のあり方がもっと増えてもいい。

PROFILE

古市憲寿

1985年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。最新刊は、東京が「大都会」ならぬ「大田舎」であることを都バスを使って明らかにした『大田舎・東京』。NHK「ニッポンのジレンマ」MCを務める。好きな食べ物はチョコレート。

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