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角田陽一郎の「2017年、的。」

#5 「コンテンツからヴォルテックスへ」

2017年も間も無く終わります。2017年とはどんな年だったのでしょうか?
そして2018年はどんな年になるのでしょうか?

個人的には、長年働いていたテレビ局を辞めてフリーになっての1年目でした。
なので僕の周りの景色が一変しました。興味深いことに、やっていることはテレビ番組の制作という意味では、実はそんなに変わらないのにも関わらずです。
つまり行為自体が変わることがなくても、その行為をしている人間の意識が変われば、状況というのは一変するということです。

そしてそれは、僕がテレビ局を辞めたから以上に、まさに2017年がそういう時代の変化の瞬間だからではないでしょうか?
あなたがもしサラリーマンでしたら、朝起きて、満員電車に乗って、会社に行き、仕事をし、時に残業で遅くなり、ときに同僚と飲み会をし、週末は家族サービスをする、そういう行為が急に変わったという自覚はないかもしれません。でもその一つ一つの行為をしている時の、あなたの意識がちょっとでも変化していたら、それはもう違う行為をしていることと同義なのです。つまり、その一人一人の意識の変化が積み重なって世界は次のタームへと移行するんだと思います。

例えば、テレビ番組などの映像物などを動画コンテンツと呼びます。それはテレビというフレームの中にある中身=コンテンツだからです。そのフレームがCDだったならば音楽がコンテンツであり、フレームが雑誌だったら記事がコンテンツなのです。
でもいまや、誰もが感じるように、雑誌は廃刊が続き、CDは激減し、テレビもかつての勢いを失いつつあります。
だからといって、ネット上では読み物があふれていますし、音楽もSpotify等のサブスクリプションで聞かれています。映像でいえば、テレビのOA時の視聴率自体が低下しても、それを見逃し配信やYouTubeでスマホで楽しんでいますし、さらにいえば、AbemaTV等のネット自体のオリジナルコンテンツはものすごく増えていますよね。
つまり、僕らが見たり聞いたり読んだりしているモノは、もはやコンテンツではないのです。なぜならそれを格納するフレームがどんどん無くなっていっているからです。それはVHSがDVDになりBlu-rayになった映像メディアの進化や、レコードがカセット、MD、CDと変わった音楽メディアの進化、書籍が電子書籍に移行するといったこととは実は同じように見えて、全く違う変化です。つまりフレームが技術の進化で次のフレームに移行したような従来の変化ではなく、フレーム自体の消滅を意味する根本的な概念の変化です。

この2017年はそれが顕著な年でした。そして2018年にはそれは、もっとじゃんじゃん進みます。ならば僕らは、何かを産み出す時に、それがコンテンツであるという意識自体を変えていかなければならないのです。
これを読んでいる若い方、いわゆるネットネイティブと言われている世代にとっては、実は当たり前のことかもしれません。むしろ無自覚にそれを享受していることでしょう。だから何かおもしろい作品があれば、それをどこで、どんな風に見ても、楽しめればいいのです。
でもコンテンツというフレームに縛られた世代は、そのコンテンツをどうヒットさせるかという概念で、さらにぶっちゃけていえば、今までのテレビやレコード会社や出版社という既存のビジネススタイルの売り上げをどう死守するか?それについ固執してしまいます。

でもそれは、悲しいかな、もう通用しないのです。
いや、逆です、悲しいことなんかありません。コンテンツという概念さえ捨て去れば、実は今まで以上に中身を外部とたやすくアクセスできるのですから。良いモノさえ産み出せば、むしろ今までのように既存のフレームに束縛されずに、自由にモノが産み出せるのです。つまり新たなビジネスチャンスは無尽蔵なのです。

では創作物はコンテンツではなくて、僕らはこれから何と呼べばいいんでしょうか?
実は、僕はそれを数年前から模索中です。これといった呼び名をまだ決められずにいます。でもそれが多分はっきり見えてくるのが2018年なのではないでしょうか?
例えば、フレーム(flame)の中の中身だからコンテンツ(contents)だったのであれば、フレームが消滅したのだから、フィールド(field)と呼べるかもしれません。
そのフィールド=領域で、各々がいい作品を産み出す。フィールドには境界がなく、どこからでもどこへでも移動できるイメージです。
そして、フレームというのは障壁で境界を築いて、外部と内部を遮断します。そのフレームがない状態での中身とは、人や情報がどこからでも集まって来て、巻き込み巻き込まれ、それがどこにでも拡散していくような渦巻きのイメージでヴォルテックス(vortex)と呼んだりしています。

まあ、その呼称が適切かどうかはともかく(笑)、
フレームからフィールドへ
コンテンツからヴォルテックスへ
世界は変化していくと僕は確信しています。

つまりコンテンツは過去であり、ヴォルテックスは未来です。
そんな未来のフィールドで何が産まれるかなんて、実は誰にもわかりません。むしろその不確定さに不安になり、人はつい過去のフレームの中で、実例や、実績、成功体験に固執してしまうのでしょう。
でも過去ばかり向いて、そんな新たなことは起こらないと言う人は、退屈でつまらないです。
これから何が起こるかわからない。そんな中で未来の話をすれば、それはペテンかもしれないけれど、それに乗りたいという気持ちを、そんなワクワク感を、実はみんな誰でも持っているんだと思います。そのワクワクの渦に人が集まってきます。
そしてそんな未来を向いている人たちに、そっぽを剥かれたのが、実はテレビという旧来のフレームなんじゃないのか?とテレビ業界の僕は思っています。
だからこそ、テレビというフレームを超えて、新しいフィールドで、既存のコンテンツではない、新しいヴォルテックスを生み出すことができると思うのです。
そしてそれはテレビだけでなく、あらゆる業種の既存のフレームに固執している全ての人に言えることなんだと思います。

ではそんな時代を生きる僕らはどうすればいいんでしょうか?
僕は、自分自体が自分というフレームに固執しないことなんだと思います。自分のフレームに固執し、自分のフレームの中で考えるのではなく、移動しながら自分の思考のフィールドを広げていって、そこに渦ができたのならば、その渦に身を任せて巻き込まれてしまってもいいのだと思うのです。あるいは自分が渦になって人を巻き込んでしまう。
今までは、あるフレームの中で、揺るぎない確信を持ってる人が優れていて優秀で頭がいいと思われがちでしたが、こんなに様々なことが揺れまくってる時代なのだから、むしろその人の揺るぎない確信ほど時代とブレるんじゃないだろうか?とさえ思うのです。
もうフレームはないのです。そういう意味では人の渦=ヴォルテックスはいたるところで発生します。つまり、むしろその渦の揺れに合わせて揺れまくるくらいが時代とブレないってことなのではないでしょうか?

みなさんの2018年が、ワクワクするフィールドであることを祈念して。
そして一人一人の人生が、時代のヴォルテックスであることを確信して。

PROFILE

角田陽一郎

1970年生まれ、千葉県出身。バラエティプロデューサー。東京大学文学部西洋史学科卒業後、1994年にTBSテレビ入社。テレビプロデューサー、ディレクターとし『さんまのスーパーからくりTV』『中居正弘の金曜日のスマイルたちへ』など、主にバラエティ番組の企画制作をしながら、映画『げんげ』監督、「ACC CMフェスティバル」インタラクティブ部門審査員ほか、多種多様なメディアビジネスをプロデュース。著書に『最速で身につく世界史』(アスコム)、「オトナの!格言」(河出書房新社)、「成功の神はネガティブな狩人に降臨する –バラエティ的企画術」(朝日新聞出版)ほか。現在、フリーとして多方面に活躍中。

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